1968 上 若者たちの叛乱とその背景(小熊英二)
本屋で最初に見たときに、またえらいゴッツイ本やなと思っていた小熊英二の『1968』の、とりあえず上巻を図書館で借りて読む。こんな厚くて高い本は近所の図書館で買わないことにしたようで、相互貸借でヨソからの借り物。
上巻だけで1000ページ以上あり(うち、註が100ページほど)、
とにかく重い。返す前にはかってみたら、1.4kgもあった。ええ加減にせえよという重さで厚さである。今までの本もかなり厚くて重い本だったが、それでも持ち歩いて読めた。
1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景 (2009/07) 小熊 英二 商品詳細を見る |
上巻だけで1000ページ以上あり(うち、註が100ページほど)、
とにかく重い。返す前にはかってみたら、1.4kgもあった。ええ加減にせえよという重さで厚さである。今までの本もかなり厚くて重い本だったが、それでも持ち歩いて読めた。
これはあまりに重くて、読みにくい。手に持っても重いし、好きな場所で好きなかっこで読むことも難しく、仕方がないので机に置いて読むようなことになる。どうせゴッツイ本やねんから、せめて上・中・下にでも分けて、もう少し軽くしてほしい。重すぎる。
布団の中でついついイッキ読みというわけにもいかず、またせっかくヨソから借りてもろたしという気持ちもあり、休みやすみ、やっと返却期限までに読む。
タイトルそのまま、これは「1968」年、心当たりのある人にとっては"あの時代"を研究した本である。
上巻は、「時代的・世代的背景」から始まり(1、2章)、「セクト」各派の思想やスタイルについてのお勉強(3、4章)、そして、著者が"あの時代"の始まりと位置づける1964年の慶大闘争(5章)から、1965年の早大闘争(6章)、1966年の横浜国大闘争・中大闘争(7章)が描かれ、羽田・佐世保・三里塚・王子という「激動の七ヶ月」の闘争(8章)をはさんで、日大闘争(9章)、そして1969年の1月の安田講堂攻防戦で終わる東大闘争(11、10章)を資料によってひたすら語って、1000ページ近い本文が終わる。
つまり上巻は、羽田や佐世保、三里塚といった大学生が参加した闘争の話もあるが、主に大学という"コップの中の嵐"を書いたものである。(下巻は、目次によれば大学闘争が高校に飛び火した話や、ベ平連、連合赤軍やリブの話が出てくるらしい。)
さすがに疲れた。最初のほうの時代の話や初期の闘争の話はともかく、さいごの2章は内ゲバの話が続き、われこそは正義の暴力、正しい暴力といわんばかりのセクト各派の暴力的な主張と、たっぷりの資料で語られる暴力の言動にうんざりした。
全共闘"世代"と言ったりもするが、あの当時、大学進学率が上がりつつあったといっても、進学者はまだ少ないものだったし(団塊の世代ということで、ボリュームは増えていたとはいえ)、その中でも闘争に参加したのはせいぜい2割ほど。全共闘なり大学闘争の渦中にいた人たちは、同世代のうちのごくわずかな数であり、これを世代の経験として語るには無理がある。にもかかわらず、全共闘"世代"という言い方があるのは、大学まで進学した人たちが、そうでなかった人たちに比べて言語による表現力の点で相対的にまさっていたからだろう(回顧録の類は山のようにあるのだ)。
どこかの章で闘争に参加した活動家の話が引かれていたが、同世代の7割以上がすでに世の中に出て働いているというその認識どおりなのだろう。
私は、中2のときの担任の先生がなぜか卒業のときに高野悦子の『二十歳の原点』をくれて、それを高校生の頃に読み、この高野の日記で名前の出てくる奥浩平の『青春の墓標』も読み、大学に入ってからだったと思うが60年安保で亡くなった樺美智子の『人しれず微笑まん』も読んでいた。
読んでいたが、それはほとんど"青春の煩悶モノ"として読んでいたようなもので、高校生の頃にこれを読んだころには、高野や奥の日記に出てくるセクト名や、代々木、反代々木というのが何のことだかわかっていなかった。
さすがに今は、代々木、反代々木くらいは知っているが、今回この上巻で「セクト」の話を読んで、革マルとか中核とかブント、その他いろんなセクトの"違い"がなんとなくわかった。
へーそうなのかと思ったのは、佐世保闘争の際に、報道のなかで、「群衆」を肯定的に評価したときに「市民」という表現が使われるようになった、という話。
それから、あの時代の、すべての既存の価値や権威を疑ってかかったような闘争に参加した活動家たち、とりわけ男性が、なぜ、女性が食べる世話をすることや補助的な役割を担うことについては、何ら疑いもせずに受け入れていたのか、という問いが、女性活動家の手記などから引かれていて、そこはやはり印象深かった。バリケードの中で、ずっとおにぎりを握りながら、明日からはやらへんデ、と思うような話がとくに。
1968年といえば、永山則夫による連続射殺事件があった。永山則夫は1949年生まれ。同世代で大学へ進んだ者は、この「1968」前後の闘争に参加していたりもするわけだが、永山は中卒で集団就職している。この世代は中卒、高卒で就職した者のほうが多かったのであり、数の上からいえば、全共闘"世代"というよりは金の卵"世代"といってもいいのだろうと思う。
少なくとも、生まれた場所や家庭環境や性別、出生順位などによって、"あの時代"は相当違ったものだったんやろうなあと思う。
たしか書評で橋爪大三郎が「テキストのゴミ屋敷」と書いていたが、さすがに、もうちょっとつまんでもええんちゃうんかなとは思った。まあこういうゴッツイ本にするのが、これまでどおり小熊スタイルなのかもしれない。それとこれも小熊スタイルなのかもしれないが、歴史的表現あるいは資料のママというだけではない「父兄」表現が頻出するのは、わざとなのか、無意識なのか、何だろうなあと思ったのであった。べつに保護者と言い換えろという意味ではないが。
布団の中でついついイッキ読みというわけにもいかず、またせっかくヨソから借りてもろたしという気持ちもあり、休みやすみ、やっと返却期限までに読む。
タイトルそのまま、これは「1968」年、心当たりのある人にとっては"あの時代"を研究した本である。
上巻は、「時代的・世代的背景」から始まり(1、2章)、「セクト」各派の思想やスタイルについてのお勉強(3、4章)、そして、著者が"あの時代"の始まりと位置づける1964年の慶大闘争(5章)から、1965年の早大闘争(6章)、1966年の横浜国大闘争・中大闘争(7章)が描かれ、羽田・佐世保・三里塚・王子という「激動の七ヶ月」の闘争(8章)をはさんで、日大闘争(9章)、そして1969年の1月の安田講堂攻防戦で終わる東大闘争(11、10章)を資料によってひたすら語って、1000ページ近い本文が終わる。
つまり上巻は、羽田や佐世保、三里塚といった大学生が参加した闘争の話もあるが、主に大学という"コップの中の嵐"を書いたものである。(下巻は、目次によれば大学闘争が高校に飛び火した話や、ベ平連、連合赤軍やリブの話が出てくるらしい。)
さすがに疲れた。最初のほうの時代の話や初期の闘争の話はともかく、さいごの2章は内ゲバの話が続き、われこそは正義の暴力、正しい暴力といわんばかりのセクト各派の暴力的な主張と、たっぷりの資料で語られる暴力の言動にうんざりした。
全共闘"世代"と言ったりもするが、あの当時、大学進学率が上がりつつあったといっても、進学者はまだ少ないものだったし(団塊の世代ということで、ボリュームは増えていたとはいえ)、その中でも闘争に参加したのはせいぜい2割ほど。全共闘なり大学闘争の渦中にいた人たちは、同世代のうちのごくわずかな数であり、これを世代の経験として語るには無理がある。にもかかわらず、全共闘"世代"という言い方があるのは、大学まで進学した人たちが、そうでなかった人たちに比べて言語による表現力の点で相対的にまさっていたからだろう(回顧録の類は山のようにあるのだ)。
どこかの章で闘争に参加した活動家の話が引かれていたが、同世代の7割以上がすでに世の中に出て働いているというその認識どおりなのだろう。
私は、中2のときの担任の先生がなぜか卒業のときに高野悦子の『二十歳の原点』をくれて、それを高校生の頃に読み、この高野の日記で名前の出てくる奥浩平の『青春の墓標』も読み、大学に入ってからだったと思うが60年安保で亡くなった樺美智子の『人しれず微笑まん』も読んでいた。
読んでいたが、それはほとんど"青春の煩悶モノ"として読んでいたようなもので、高校生の頃にこれを読んだころには、高野や奥の日記に出てくるセクト名や、代々木、反代々木というのが何のことだかわかっていなかった。
さすがに今は、代々木、反代々木くらいは知っているが、今回この上巻で「セクト」の話を読んで、革マルとか中核とかブント、その他いろんなセクトの"違い"がなんとなくわかった。
へーそうなのかと思ったのは、佐世保闘争の際に、報道のなかで、「群衆」を肯定的に評価したときに「市民」という表現が使われるようになった、という話。
それから、あの時代の、すべての既存の価値や権威を疑ってかかったような闘争に参加した活動家たち、とりわけ男性が、なぜ、女性が食べる世話をすることや補助的な役割を担うことについては、何ら疑いもせずに受け入れていたのか、という問いが、女性活動家の手記などから引かれていて、そこはやはり印象深かった。バリケードの中で、ずっとおにぎりを握りながら、明日からはやらへんデ、と思うような話がとくに。
1968年といえば、永山則夫による連続射殺事件があった。永山則夫は1949年生まれ。同世代で大学へ進んだ者は、この「1968」前後の闘争に参加していたりもするわけだが、永山は中卒で集団就職している。この世代は中卒、高卒で就職した者のほうが多かったのであり、数の上からいえば、全共闘"世代"というよりは金の卵"世代"といってもいいのだろうと思う。
少なくとも、生まれた場所や家庭環境や性別、出生順位などによって、"あの時代"は相当違ったものだったんやろうなあと思う。
たしか書評で橋爪大三郎が「テキストのゴミ屋敷」と書いていたが、さすがに、もうちょっとつまんでもええんちゃうんかなとは思った。まあこういうゴッツイ本にするのが、これまでどおり小熊スタイルなのかもしれない。それとこれも小熊スタイルなのかもしれないが、歴史的表現あるいは資料のママというだけではない「父兄」表現が頻出するのは、わざとなのか、無意識なのか、何だろうなあと思ったのであった。べつに保護者と言い換えろという意味ではないが。
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